街を歩く 街に住む

墨東日記 墨田区編

街のこと

東京という場所だけを例にとっても、その中にはいろんな街がある。そしてその「街」という区分は、結構曖昧なものだなと常々思う。
同じ区の中でも全然違う空気感を感じるところがあったりするし、どこからどこまでをひとつの街として捉えているのかは、人次第でかなり異なるような気がする。
電車の中で、上の方に貼ってある路線図をぼうっと眺めているときに、その中に一度も降りたことのない駅名がたくさんあることに気がついた。
東京に住んでいるので東京のことをたくさん知っているような気がしていたけど、まだ見たことのない景色が沢山あることにはっとした。
それ以来、特に何も用事のない日に、その路線図の中でみかけた降りたことのない駅までわざわざ行って降りて、そのあたりをしばらく散歩してみることがたまにある。
知らない街を歩いてみると、やっぱり自分が住んでいる街や知っている街とは、建物も、人も、景色も全部ちょっとずつ違う。そして、その全部が合わさった、その街独特の空気感みたいなものがあることに気づく。 それは、ただ小一時間散歩しただけで感じる曖昧な感覚だけど、例えば自分がその街に住むことがあったら、その空気感の正体みたいなものを、もっと正確に、色濃く、しっかりと感じることができるのかもしれない。 そう思って、知らない街を歩くときは、その街に住んでいる自分を勝手に想像してみたりする。

街に住む

墨田区を拠点に活動している知人から、一時的に墨田区に滞在しないかと言われた。
ある土地にアーティストが一定期間住んで、その土地で制作を行うことをアーティスト・イン・レジデンスといったりするんだけど、それを文章でやる、つまりライター・イン・レジデンスの企画に誘ってもらったのだった。
最初にそれを聞いたとき、自分が墨田区からそう遠く離れていないところに住んでいることを思ったけど、自分が住んでいる街と今回滞在を誘われた墨田区とでとは、同じ東京でも全く別の街だ。
今の街が出来上がるまでに経てきた歴史も違うし、地理的な環境も、そこにいる人も違う。
そこに少しの間だけ住んでみることができれば、そこに訪れるだけでは知ることのできない、その街を流れる空気の正体に、少し近づくことができるように思えたのだった。

墨田区のこと

実際に滞在を始める前に、この企画(墨東日記)に誘ってくれた青木さん(青木彬さん、墨田区で「spiid」というスペースを運営しているキュレーター)に案内をしてもらいながら夜の墨田区を少し歩いた。
ある地点を境に、空襲で焼けなかった木造家屋が多く残っていて、道も区画整理されていない。碁盤の目状になっていないので、細くてくねくねした道が多く残っているらしい。そのせいか、一度歩いた道でも、地図アプリに頼らないとどう駅まで戻ったらいいのか全然わからない。
夜だからもう全部シャッターが閉まっていたけど、駅から少し歩いたところにある個人商店ばかりの商店街も、昼間はかなり活気があるようだ。
古くからある木造長屋を改装して作ったお店とか、ギャラリーとかアトリエとかがいくつもあるらしく、元々そこにある資源を活用して新しいものを作ろうとする人がたくさんいるような印象がある。
あとは、この辺の一帯でけん玉が流行っているという話をきいた。けん玉というと、羽子板とかベーゴマみたいな昔の遊び、という印象があったのだけど、最近は海外でも結構流行っていて、ストリートカルチャーの文脈で受け入れられているそうだ。青木さんから、墨田区ではけん玉を首からさげて歩いてる人がいるとか、空き地に集まってみんなでけん玉をやってるみたいな話をきいてちょっと疑っていたのだけど、歩いていたら海外メーカーのけん玉を仕入れて売っていたり、店先にけん玉を置いている飲食店をみかけたので本当なんだと思う。
これだけの情報でも、この街が自分の住んでいる街と違うことがはっきりわかる。その源泉、その空気感みたいなものの中に少しのあいだ身をおいて、そこから見えてくる景色の中から、死なないに繋がるかけらを探してみようと思います。