旬を味わうひとつとして
ツクシが伸び切ってしまった。
仕事にかまけている間に、お目当ての野草の旬を取り逃がしてしまい、河原には一面のスギナが青々と生い茂っていた。まあいい、これも味わえる。私は、心の空白を埋めるようにしてスギナを摘み取った。それから舗装された川べりに目を配ると、ふわふわとかわいらしい新芽を生やしたヨモギをみつけた。ヨモギは一年を通して味わえる野草だが、柔らかい新芽はこの季節だけの楽しみだ。
私はすっかり気分を良くし、それを摘み取った。さて、今回はお茶にでもしてみるか。
身近に生えている野草は、実は簡単にお茶にすることができる。サラダやおひたしなどのフレッシュな味わいとはまた別の楽しみ方だ。茶葉にすれば保存性も高くなるため、年中楽しむことができるのも魅力的である。
そこで今回は、河原や野原に生えている今が旬(3〜5月まで)の、スギナとヨモギのお茶の作り方を紹介したい。
使うもの
○バット(茶葉を載せて乾燥させるのに使えればなんでもよい)
○麻ひも(茶葉を束ねられればなんでもよい)
○保存容器(できればガラス製や金属製がよい)
○風通しが良い場所
材料
○スギナ
○ヨモギ
それぞれの特徴
【スギナ】
難防除雑草として扱われるくらい極めて繁殖力が強い野草だ。その生命力は凄まじく、戦後の焼け野原に最初に生えた植物である(らしい)。
ごわごわとしっかりとした手触りからわかるように、食するのにはあまり適していない(新芽はまだイケる)が、茶葉にするには申し分ないその風味と薬効がある。生薬として問荊(もんけい)とも呼ばれ利尿作用がある。
近年は、花粉対策としての効能があるとの発表があり注目が集まっているが、公的なデータはない。一方で、微量のニコチンを含むため、心臓、腎臓病の疾病を有する人やニコチン過敏症の人には禁忌とされている。
また、ネットで薬効を調べると胡散臭いくらいに良さが強調される記述があるが、生兵法は怪我の元である。その素晴らしい薬効を得るために飲むより、季節の風味を楽しむくらいの気楽さでいただくのが丁度いいだろう。
【ヨモギ】
草餅に利用されるなど我々には親しみやすい野草のひとつだ。食べたり、煎じて飲んだり、灸の原料にしたり、入浴剤にしたりとその用途の幅は広く、また絶大な薬効から万能薬として昔から知られてきた。しかし、似ている毒草(トリカブト)を食べてしまい中毒を起こす事件は後を絶えないようなので、採取する時は十分に注意したいところである。
ヨモギの見分け方
茎は白っぽくうぶ毛があり、葉は優しく丸くぎざぎざしている。葉の裏にも白いうぶ毛が生えている。葉をこするとヨモギ餅のあの爽やかな香りがしてくる。旬の新芽は、黄緑色に近く指先で摘み取ることができる柔らかさ。ヨモギに似ているとされる毒草との見分け方は、厚生労働省ホームページにある自然毒のリスクプロファイルなどを参考にするのが良いだろう。(前述したように、トリカブトと間違えるケースがあるらしい。が、個人的にはニリンソウとトリカブトを見分けるほうが難しいように思える)
茶葉に変えてゆく
採取した葉っぱを水でさっと洗い埃や汚れを流す。スギナは麻のひもで束ね風通しのよい場所で吊るす。ヨモギは水を切り、バットに載せて同じように風通しが良い場所に置く。カビを生やしたり腐らせたりしないよう注意しながら見守る。天候に左右されるが、3日〜1週間ほどで干し上がる。これを適当な大きさに刻んで完成だ。
それぞれの茶葉は、用途や風味に変化をつけるためにミルサーで粉末状にしたり、(スギナは)フライパンで煎ったりしてもよい。
できた茶葉は、風味を損ねないよう密閉容器(ガラス製や金属製がのぞましい)に入れ紫外線の当たらないところで保存する。
味わう
スギナは刻んでいる時から強い芳香を始める。その香りはどこかしら抹茶に近いものを感じるが、繊細というよりは荒っぽく力強い。大さじ2杯くらいをケトルに入れ沸騰したお湯を注ぎ5分程度蒸らす。口当たりはまろやかで飲みやすく風味は牧草(ハムスターの飼育用敷き藁に近い…知っているだろうか)のようだ。この青っぽい風味が苦手な方は、煎ってみるとよいだろう。芳ばしい風味になり、ほうじ茶に近くなる。冷ますと舌の表面がギシギシしたような感じがする。また、味に酸味が増してくる印象を受ける。淹れたての方が飲みやすいだろうか。
ヨモギは期待を裏切らないその香りと味わいである。まさに飲む草餅だ。淹れ方はスギナの時よりも気持ち少なめの量の茶葉にすると良いかも知れない。思いのほか、濃く抽出されるようだ。感想がヨモギだけ淡白になってしまったが、言わずもがなだからだ。ほんとうに、草餅。
ちなみに、スギナは栄養満点ではあるが、食べ過ぎると含まれる成分から脚気などの症状を引き起こすらしい。とは言え、スギナに限らずどんな食べ物においても言えることだが、過ぎたるは及ばざるが如し、毒も薬も匙加減である。過敏にならずとも、季節を味わい楽しむことを忘れなければ、過剰摂取など心配はいらないだろう。