頭の中の地図を拡張する

解像度をあげて街を見る

家がある街、職場がある街、生まれた街、友人の街…
『なんとなく見慣れた風景があって、その街での自分の振る舞い方が決まっている』
そういう街が誰しもにある。

自分の住んでいる街のことを知らない

私の家は駅から歩いて20分のところにある。毎日決まった道を歩いて、決まった店で買い物をする。時々、近くの川に行って、本を読んだり、パンを食べたり、釣りをしている人を眺めたりする。
ライターインレジデンスの企画に呼ばれて墨田区にしばらく滞在していた時に、「普段住んでいるところはどんな街ですか?」という質問を何度かされたのだけど、「〇〇という駅があって、家は駅から20分くらい歩いたところにあって、その近くに川があって」くらいしか答えられなかった。それって、住所を言ってグーグルマップで調べれば分かることだ。そもそも「どんな街か」の答えにはなっていない。自分の住んでいる街のことを、実は全然知らないことに気づいて衝撃だった。

子供時代の街の解像度

うんと小さかった頃のことを思い出した。あの頃は、ブレーキをかけるたびに悲鳴みたいな音がする自転車で行けるところだけが、世界の全てだった。けれど、自分だけが知っているタニシのたくさんいる側溝、春にだけ咲く花のある庭、そういう地図に載っていない、街の色々なことをよく知っていた。範囲が狭いぶん、ものすごい解像度で街が見えていたってことだと思う。

地図を拡張する方法

「動物になって生きてみた」という本がある。
タイトル通り、著者が(かなり無茶な方法で)色々な動物の生活様式を真似して生きてみた記録が事細かに記載されているのだけど、この本の中で頻繁に「地図」という言葉が出てくる。「地図」といっても、普段私たちが利用するような、緯経で仕切られた平面空間に、様々なものが記されている地図のことではない。ここでいう地図は、各動物が存在するフィールドにおいて、その動物に必要な情報の総体を指している。
例えば、カワウソの地図について、こういう記述がなされている。

「空間だけでなく時間も示され、パニック、満腹、喪失の記憶に従った色もついている」

わたしは川が好きだ。けれど、水の中で自由に動き回るカワウソにとっての川と、光の撫でる川べりでダラダラ本を読むわたしにとっての川とでは、同じ川でもまったく違う。
解像度をあげて世界を見ることは、地図に経緯の情報だけではない自分だけの特別な軸を付け加えること、すなわち地図を拡張することだと思う。その特別な軸は、追加することも使うことも自分にしかできない。特別だけど誰にでもできる、地図を拡張する方法をいくつか考えてみた。

#1 入りづらい店に入ってみる

知人に勧められて、どうみても民家の佇まいをしている蕎麦屋に行ってみた。営業している間だけ玄関先に暖簾がかかっているのだけど、それ以外の要素がどうみても民家なので、ふらっと立ち寄るにはなかなかハードルが高い店だ。

営業をしている間だけ、「そば」ののぼりと営業中の札が出る
それがなければどう見ても普通の民家

玄関から入って廊下を抜けるとリビングに通されて、そこでご飯を食べる。リビングには机があって、そこに美味しそうなお惣菜がたくさん並んでいる。テレビや学習机もある。韓国ドラマのDVDを熱心に見ていた常連さんらしき人が、システムの説明をしてくれた。
まず、蕎麦を注文する。そうしたら、リビングの机にずらっと並べられたお惣菜はセルフサービスで好きなものを食べて良い。ただ、食べ放題というわけではなく、その日あるぶんを、その日のお客さん達で分け合って食べなきゃいけない。その配分は、みんなの思いやりに任されているのだ。カレーはプラス百円で食べられておかわり自由。

#2 買い物を工夫する

買い物をする店って大体決まっている。毎日の食材や日用品は、駅から家までの道沿いにある大きなスーパー、大量に仕入れたい時には業務用スーパー、といった感じに。
けれど、いつもの道とちょっと違うルートで帰ると、個人経営の小さい八百屋や魚屋が結構ある。小さなお店だと、欲しい食材がなかったりする。店が仕入れている食材次第で、その日の夕飯のメニューに頭を捻るのも楽しいことだな〜と思う。

近所の豆腐屋さん

#3 知らない人に話しかけてみる

家の近くに川がある。その川で釣りをしている人をよく見かけるのだけど、何が釣れるのかよく知らない。「何が釣れるんですか?」って聞いたら「ハゼ釣ってるんだけどヨォ〜、全然釣れねぇんだわ!」って教えてくれた、へえ、釣れないんだ…

常に数人の釣り人がいる川、ラジオとか聴きながらのんびりやっていていいな〜と思う

駅までの道に昔ながらの豆腐屋さんがある。晴れた日には店の前に椅子が出ていて、そこに猫を抱えたおばあちゃんが座っている。最近姿を見なくて心配していたのだけど、具合が悪くてお休みしていたらしい。年明けにはまたぼちぼち始めるとのことで、安心。

猫を抱えている豆腐屋のおばあちゃん。晴れた日は毎日いる。

解像度を高くしたらどうなるのか

解像度について印象的な話がある。

(例えば、200万分の1の時間差で発された二つの音を聞き分けることのできる鳥がいたとする。200分の1の時間差で発された二つの音までしか聞き取れない人が鳥と同じ解像度で音を聞こうと思ったら、鳥が1秒に聞く音を2時間45分かけて聞かないといけないことになる)

これ、本で読んだか人から聞いたかですごく覚えてるエピソードなんだけど、解像度を高くすることは、すなわちスピードがゆっくりになるってことなのかもしれない。あんまり大きなことや、たくさんのことを考えると、誰の頭だって処理落ちしてしまうから、無意識に見えないようにしているものや諦めたり切り捨てているものがいっぱいある。それは物事の解像度を下げている状態と言うこともできて、生きていくのに必要な反射的行為でもある。色々なことを「うまくやっていく」って、「諦め方や切り捨て方が上手になる」=「解像度を無意識に最適化することができるようになる」ってことなんだな〜と思う。
人生ズンズンガンガン前に進んでくだけだぜ!ってスピードに乗っている時は大丈夫なんだけど、自分以外の世界全部早すぎじゃない?ってふと焦ってしまう時、いつでも使える自分だけの地図の拡張機能を持っておいて、世界をゆっくりつぶさにみて見ることができれば、きっと死なない。

渋いギャル twitter:@iroha1221