拾ったものでちょっと楽しい

ものの価値は揺らぐ

ものの価値って不思議だ。社会的に良いとされているものが、自分にとってはあんまり良いと思えないことって結構ある。誰かにとっては不要なものでも、場所、人、その他色々な条件が変われば、すごく必要とされるものになったりする。
同じものでも買う場所や買うタイミングによって値段が違ったりする。お金で買えるものと買えないものがある。
ものの価値は一つの要因だけが決定する絶対的なものじゃなくて常に揺らいでいる。時には、誰かがゴミとして手放したいと思うようなものが、別の誰かにとってはまだまだ使えるものだったりもする。

私たちの身の回りの世界には様々なものが落ちている。それは誰かが要らないと思って捨てたものであったり、多くの人が価値が無いと思って見過ごしているものだったりする。そういう、その辺に落ちているものでも、自分が良いなと思ったものは拾ってきて、家の中で使っていたりする。
そのまま使ったり眺めたりしているものから、一手間加えて使っているものまで色々だけど、どれもちょっと生活を豊かにしてくれている。

拾ってきたものたち

拾っていいものダメなもの

当たり前なんだけど、落とし物は交番に届けなきゃいけない。だから、この記事の中の「拾ったもの」は落とし物じゃなくて、明らかに経済的価値がない自然のものとか、「ご自由にお取りください」という風な張り紙とともに落ちているもののこと。ただ、 公園の特別保護地区になっているようなところにあるものは、落ち葉でさえ拾うことを禁止されているらしい。よく気をつけよう。

拾ってきたものを工夫して使う

1.穴の空いた石をペン立てにする

穴が空いている石が落ちていることがある。直径1cmくらいの穴ならペンたてにちょうどいい。穴の具合によっては、一輪挿しとかにもできるかもしれない。

2.石を指輪にする

強度にちょっと難ありなんだけど、かわいい

10個100円とかで売っている丸い真鍮のパーツに拾ってきた小さい石をつけて指輪にしてみた。石にヤスリで溝を切って、そこにハンダを流し込むような感じで丸い真鍮をくっつけている。もともとの真鍮の表面がツヤツヤしすぎていて、石の無骨な感じに合わないかなと思い、あらかじめ粗めのヤスリで傷をつけた。石と真鍮をちゃんとくっつけるのが意外と難しくて、手荒に扱うと外れてしまうことがある。だから、もうちょっとうまくやる方法がないかな〜と模索しているところ。
けれど、外れたならまたくっつければいいだけだ。
はんだごてが家にあるなら、実質10円くらいでできちゃうし、何より好きな石で作れる。私は、キラキラした石のアクセサリーとかを持っていないんだけど、この拾って来た石の指輪はお気に入り。カラット数とやらにするなら相当なのでは?と思ってちょっとワクワクした気持ちになったりもする。

3.拾って来た瓶を花瓶として使う

海で拾って来た、ウイスキーかなんかが入っていたであろう瓶。表面に細かい傷がついていて、磨りガラスみたいな独特の良さがある。ちょっとした花を活けて使っている。海岸の漂着物を収集して楽しむことはビーチコーミングと呼ばれ、世界中で楽しまれているらしい。安全に留意して常識の範囲内で楽しむことが前提だけど、かなり面白そうだな〜と思う。

4.観賞用として

結構重くて大きい石がある。
結構重くて大きい石、結構たくさん使い道があるんじゃないかという気がしている。
例えば、漬物を漬けられる。拾って来た石で漬物漬けるって、なんかすごくカッコいい。ドアストッパーにもなる。挟むタイプじゃなくて、重さでなんとかするタイプの方。友人の家に遊びに行った時、重くて大きい石がドアストッパーとして使われていてその無骨さと有用性に感動した。
我が家の結構重くて大きい石は、今のところただただ鑑賞されているだけなのだけど、それもまた良い。なんとも言えない安心感がある。

5.瓶詰めにする

ある日、同居人が自転車を押して帰ってきた。事情を聞いたら、駐輪場に置いていた自転車のタイヤがパンクしていたそう。タイヤしていたパンクには釘が刺さっていた。それが誰かの故意によるものなのか偶然なのか、真相は分からないけど良い気持ちはしない。
細かいところは覚えてないんだけど、どうにかしてこの釘を取っておきたいね、という話になって、瓶詰めにした。瓶にDymoのシールで日付をつけたら、大切な標本みたいな感じがして、めちゃくちゃバカだな〜っと思っているうちに、悲しい気持ちも薄れていた。これはちょっと特別な例かもしれないけれど、天気がいい日に拾ったものを瓶詰めにして日付を残しておくとかしたら、それだけでちょっと楽しい気持ちになれるんじゃないかな〜と思う。

拾える場所

1.ご自由にお取りください

道を歩いていたら「ご自由にお取りください」という張り紙とともに、道端に色々なものが置かれていることがある。それらは、引っ越しとか、飲食店のリニューアルとかで不要になった食器とか家具とかだと思うんだけど、使えそうだな、と思った時は持って帰ることにしている。今まで椅子、扇風機、断裁機、時計、グラスとかを「ご自由にお取りください」で持ち帰った。

いつのものかわからないけど、パッケージの可愛いグラス。洗えば普通に使えた。クリームソーダにもぴったり。

2.物々交換所

この竜とエビのあいのこみたいなぬいぐるみは学校の物々交換所にあったものだ。 物々交換所といっても、ここの場合は、必ずしも代わりのものを置いていかなくてもよいし、管理人が常に常駐しているわけでもない。交換所を整理するか、ツイッターで交換所にあるものをつぶやくかをすれば、そこにあるものをもらうことができる。もともと一つの大学から始まった物々交換所の試みは、どんどん様々な場所に広まっていっているとか。
ちなみにこのぬいぐるみの名前は「ヒロ」。拾ったから、ヒロだ。ヒロ、意外と作り込みが細かいのに、間の抜けた表情をしているところが最高にかわいい。誰かがわけあって手放したのだろうけど、うちに来てくれてありがとうね、という気持ちで撫で回している。

3.海

海には色々なものが流れ着く。流木や貝殻、どこかの国から流れ着いたゴミまで様々だ。なんでもないような空き瓶でも、どこか遠くの国から来たみたいな、日本では見慣れない形をしていたりすることがある。そういう瓶とかガラスが割れた破片が、海のなかで波や砂に揉まれて角が取れたものはシーグラスと呼ばれて、中には宝石みたいに綺麗なものがあったりする。
海岸の漂着物を収集して楽しむことはビーチコーミングと呼ばれ、世界中で楽しまれているらしい。安全に留意して常識の範囲内で楽しむことが前提だけど、かなり面白そうだな〜と思う。

ときめきが大事

お金を出して決まった場所に行けば買えるものと違って、「拾ったもの」との出会いは唐突で偶然で運命だ。その時は、自分の感じる「ときめき」だけが全ての価値を決める基準になる。こういう風な使い方ができるかも、と思ってインスピレーションを刺激される類のときめきもあれば、何に使えるか全然わかんないけど、佇まいの全てが最高…!ってなるときめきもある。どっちも本当のときめきだから、あんまり理性を頼りにしないで自分の心に素直になってみよう。

ものの価値は揺らぐ

「拾ったもの」は落ちている状態では価値のない、ただの物質だ。「拾ったもの」の、どこにときめいて、どういう風に使うかは個人の裁量に任されている。同じものを見ても、全くときめかない人もいるだろうし、ときめきポイントが違うかもしれないし、そのときめきは言葉にできないものかもしれない。
ものの価値って絶対のものじゃない。常に揺れ動くものだ。「拾ったもの」には正しいとされている価値がない。だからこそ、価値の揺らぎを自分でコントロールする楽しみを教えてくれることがあるのだ。

この記事を書いた人

郷田いろは

渋いギャル

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